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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)10721号 判決 1984年6月26日

原告

土屋昌行

原告

土屋弘子

右両名訴訟代理人

鎌田正紹

青柳孝夫

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

後藤文博

外三名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1(当事者)については当事者間に争いがない。

二請求原因2(事故の発生)については土屋車と谷田車が接触したとの点を除き、当事者間に争いがない。

原告らは土屋車と谷田車が接触した旨主張し、<証拠>によれば、本件交差点の対向車線上に谷田車が右折のため停止していたことが認められるが、<証拠>によれば、現場には土屋車の進行車線上に同車による擦過痕が残されていたこと、及び村川巡査は、谷田車の運転手谷田欣一から土屋車が自車に接触したかについて見分を求められて事実上見分をしてみたが、谷田車には何ら接触の痕跡がなかつたことがそれぞれ認められる(右認定に反する証拠はない。)ことからすると、原告ら主張のように、土屋車が谷田車に接触したためにバランスを崩したものとは断定できず、その他本件全証拠によるも右の点を肯認するに十分でない。かえつて前記各証拠によれば、かなりの高速で本件登り坂を頂上まで上りきつた土屋車は、勢い余つてダイビングをしたためにバランスを崩したものと推認され、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三小胎警部補らの過失の有無等について

1  前記事故(以下「本件事故」という。)に至る事実関係

小胎警部補が、右事故当日の午後二時四〇分ころ、東京都江戸川区小松川四丁目六〇番付近で部下数名と共に白バイ職務(待機中であつたか否かについては争いがある。)に従事していたこと、亡昌弘は右の事故当時高校三年生であり、同時刻ころ、高校からの下校途中、土屋車の後部座席に同級生の訴外菱田を同乗させ、同車を運転して、同区小松川一丁目の土手上通りを船堀橋方面から小松川橋方面に向けて走行し、同区小松川四丁目六〇番付近で右土手上通りから土手下通りに入り、更に小松川橋方面に向けて走行したこと、土手上通りから土手下通りに入る交差点には一時停止の標識が設置されていたところ、小胎警部補は、亡昌弘が右地点を通過する際一時停止義務を怠つたものと判断して、同所より亡昌弘の追跡を開始したこと、右追跡を受けた亡昌弘は原告ら主張の、地点から地点に至るまでの経路を順次走行したこと、小胎警部補らが土屋車を追跡し(ただし途中で追跡を中止したか否か、及び追跡の態様について争いがあるが、この点については後記認定のとおりである。)たこと、亡昌弘及び小胎警部補らが高速で走行したこと、地点から地点にかけての土手下通りの道路幅員及び制限速度の規制が原告ら主張のとおりであることはいずれも当事者間に争いがない。

右争いのない事実に<証拠>を総合すると以下の各事実を認めることができる。

(一)  小胎警部補らの追跡行為(以下「本件追跡行為」という。)に至る経緯について

(1) 亡昌弘は、本件事故当時都立化学工業高校の三年生であり、同校ではオートバイによる通学は禁止されていた。しかし、亡昌弘は、オートバイ(前記土屋車)を使用して通学しており、下校の際には同車を運転し、土手上通りから地点を通過して土手下通りに入り、、、の各地点を経由し、小松川橋を渡つて帰宅するのが常で、これまでもしばしば高校の同級生である訴外菱田を同車の後部座席に同乗させて下校していたほか、時にはそれ以外にも同乗させたり、共に遠出をしたりしており、同乗して走つた際に亡昌弘がたまたま交通違反を犯して取締りを受けるといつたこともあつたのであるが、本件事故当日も亡昌弘は学校から帰途右菱田を同乗させて土屋車を運転し、午後二時四〇分ころ、土手上通りから土手下通りに入る地点に差しかかつた。

(2) 一方小胎警部補は、事故当日午後二時四〇分ころから、同区小松川二丁目六〇番地先の首都高速道路七号小松川線の下の地点付近路上において、村川巡査外四名(うち白バイ乗務員は全部で四名)と共に、荒川土手通りにおける交通指導取締りの目的で、警戒監視の任務についていた。その際同警部補は、白バイに乗車してエンジンを始動しており、直ちに発進が可能な体勢にあつたが、村川巡査は、白バイから降車してエンジンを切つていた。

(3) ところで土手上通りから土手下通りに通じる右の道路は一方通行路であり、制限速度は時速三〇キロメートルに規制され、土手下通りに出る直前には一時停止の標識が設置されていた。小胎警部補及び村川巡査は、同日午後二時四二、三分ころ、亡昌弘が土屋車を運転し、右の一時停止標識を無視したうえ時速五〇ないし六〇キロメートルの速度で土手下通りに出た後、小松川橋方向に向う道路交通法違反行為をしたのを現認した。そこで同警部補は、亡昌弘の右違反検挙のため、直ちに白バイを発進させ、赤色燈をつけサイレンを吹鳴して土屋車の追跡を開始したが、この時点においては、追尾したのは同警部補のみであつた。もつとも、<証拠>中には、亡昌弘が地点において一時停止をしたかのような部分があるけれども、右部分は、<証拠>に照らし、たやすく採用できない。

他に右(1)、(2)、(3)の各認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  本件追跡行為の態様について

(1) 小胎警部補による追跡

小胎警部補ら警察官は、白バイにより追尾して先行の交通違反車両を停止させる場合、違反車両の前方に進出することは、同車両に追突されたり、引つかけられたりする危険が大きいため、このような方法によらないでまず違反車両を補促することが可能な範囲内(約三〇メートルの距離内)に接近し、次いでサイレンを吹鳴して交通違反車両の運転者の注意を喚起した後、マイクで停止を求めるよう指導されており、通常は右の方法で目的を達していたところ、前記土屋車の違反を現認した同警部補も、前記違反現認地点より約一五〇メートル小松川橋寄りの土手下通りにおいて、土屋車の後方約三〇メートルにまで追いつき、マイクで「前のオートバイ止まりなさい」と停止を求める合図を行つた。しかし、亡昌弘は、小胎警部補の白バイに気付くやいきなり背を丸めてシフトダウンし加速しながら地点を左折して小松川橋西詰南側側道方向に逃走し始めた。そこで同警部補も加速して追跡したが、土屋車との距離は、同人が地点を左折した時で約五〇メートル、土屋車が地点に達した時には約四〇メートルであつた。その間右両車両は、共に時速約六〇ないし七〇キロメートルの速度(から地点までの間の制限速度は、時速二〇キロメートルである。)で走行していた。右追跡中も、小胎警部補は亡昌弘に対し、再三停止方の警告を行つた。しかし右の警告もその効なく、地点に出た亡昌弘は、同所手前にある一時停止標識を無視したうえ右折し春日通りに出たが、同通りの走行車線は信号待ちの車両のために通行不能であつたため、同通りの対向車線を走つて地点に向い、同所の交差点を右折して京葉道路下り車線を小松川橋方向に逃走した。そして右の時点での両車間の距離は、約六〇ないし七〇メートルとなつていた。続いて亡昌弘は、一旦京葉道路下り車線の道路左側から中央線寄りに進路を変更したうえ、右小松川橋の直前に至るや突然進路を再度左に変えて同道路北側側道(別紙現場略図のとおり)に進入し、地点に向つて走行したが、右の間土屋車は、京葉道路においては時速約六〇キロメートル(制限速度は時速四〇キロメートルである。)、右側道に入つてからは時速約七〇キロメートル(制限速度は時速二〇キロメートルである。)の速度を出していた。そして右地点に至るまでの間の両車両間の距離は約四〇ないし六〇メートルであり、土屋車が地点に至るまでの間においても、小胎警部補は、亡昌弘に対し、マイクで運転の停止方を再三警告した。

原告らは、小胎警部補は、右区間の追跡中に土屋車の車両番号を確認した旨主張するので検討するに、前記認定のとおり、小胎警部補と土屋車との距離は、最も接近したときで約三〇ないし四〇メートルであり、土屋車も小胎警部補運転の白バイもともに高速で疾走しているため、路上走行に際してはその車体が上下左右に揺れ、この揺れに伴つて小胎警部補の視点も動揺すると考えられること、前掲甲第二号証(土屋車の写真)によれば、土屋車のナンバープレートの横幅は、車体の幅より狭く、後部荷台と同程度で縦幅は横幅の二分の一程度しかなく、その設置されていた位置も、後部荷台のすぐ下、後車輪カバーのすぐ上、であつたことが認められ(右認定を左右すべき証拠はない。)ることに照らせば、両車両が一時的に前記の距離に接近した程度のことだけでは、同警部補が土屋車の車両番号を確認できたとはいいきれず、他に右の点を肯認するに足りる証拠はない。

(2) 小胎警部補、村川巡査による追跡

一方、村川巡査も、小胎警部補と共に前記首都高速道路七号線小松川橋下での警戒監視中、亡昌弘の前記一時停止義務違反を現認したが、同巡査は、右現認時、前記のとおり白バイから降車していたため、小胎警部補より五、六秒遅れて白バイを発進させ、土手下通りを地点に向い追跡を開始した。しかし、村川巡査には、土屋車も小胎警部補の乗車した白バイも見あたらなかつた。そこで同巡査は、地点を直進して小松川橋の下にさしかかつたところ、左方向からオートバイの爆音と共にサイレンの音が急接近して聞こえてきたので、前記北側側道と土手下通りの交差点(地点)手前で停車したうえ左方を見ると、五〇ないし六〇メートル先の地点から、土屋車が自車の方に向かつて時速七〇キロメートル程で走行してくるのが見えた。そこで村川巡査は、手で停止の合図をすると共に、マイクで「止まれ、止まれ」と土屋車に対し呼びかけたが、土屋車は、右の制止に応ぜず、同交差点の一時停止標識をも無視したうえ、時速三〇キロメートルの速度で同交差点に進入し、右にふくらんで、同巡査の直近一メートル位の地点を左折し、土手下通りを地点方向に加速しつつ走行していつた。以後村川巡査は、土屋車にやや遅れ、小胎警部補の先に立つて同車を追跡したが、土屋車は、その進路前方地点から約四五〇ないし五〇〇メートル木下川水門寄りの対向車線上と更にその二〇ないし三〇メートル先の進行車線上に駐車車両各一台があつて高速度での走行が困難な状況であつたにもかかわらず、右駐車車両の手前では若干減速したものの、その後は車体を左右に傾けながら巧妙に駐車車両の間をすりぬけ、再び対向車線上にコースをとると徐々に加速し時速八〇キロメートル以上の速度で進行していつた。一方村川巡査も同様の方法で駐車車両の脇を通り抜け追跡を継続したが、その時にはすでに土屋車との間隔は、一〇〇メートル以上にも開いてしまつていた。同巡査は、右土手下通りが幅員五ないし六メートルと狭く、左方に路地も多いことから交通の危険を惹起することのないように配慮しつつ土屋車の速度にやや遅い時速八〇キロメートル程度の速度で走行を続けたため、同車との距離を縮めることはついにできなかつた。また、小胎警部補も地点より先は村川巡査に続いてその約五〇メートル後方を追尾して走行していた。なお、地点から地点までの間で走行してくる対向車両はなかつた。その後土屋車が到達した地点での幅員は、三メートル強と狭くなつており、そのためそこからは、反対方向よりの一方通行路に指定され車両進入禁止標識が設置されていた。しかるに亡昌弘は、これを無視し、一方通行路を逆行し、国鉄総武本線のガード下付近で約三台の対向車両と出会つたものの、減速したのみでそのまま、土屋車に進路を譲つた対向車の左側をすり抜けるように通過し加速して進行し、木下川水門方向へ走行していつた。村川巡査は土屋車を追跡して地点に至ったが、前記対向車が前面に進行してきたのに出会いその脇を徐行して進行したため、土屋車との距離はますます開いていつた。同巡査は、前記ガード下を通過した地点付近で追いついてきた小胎警部補と合流したが、同警部補は、土屋車との距離が開きすぎて約四〇〇ないし四五〇メートルにも達してしまつたことと同車の暴走状態から、これ以上の追跡はもはや道路交通上危険であると判断し、亡昌弘の検挙を目的とした追跡を一応断念し、ただ土屋車の姿がいまだ前方に認められたため、その動向監視と逃走経路の把握を目的として村川巡査と共に相当程度速度を減じて土屋車の逃走した地点方向に向けサイレンを吹鳴しつつ追尾したところ、土屋車は、約五〇〇メートル先の本件登り坂頂上付近で突然視界から消えてしまつた。小胎警部補らが赤色灯を消して同地点付近に至つたところ、前方の本件交差点内で本件事故が発生していることを知つたので、同警部補らは再び赤色灯をつけ現場に急行した。

原告らは、村川巡査は地点において土屋車の車両番号を確認した旨主張するので検討するに、前記認定のとおり、土屋車は、地点の交差点で村川巡査の眼前一メートル付近を時速約三〇キロメートルで左折していつたことはあつたけれども、<証拠>によれば、前記認定のとおり、ナンバープレートは土屋車の後部の位置に前記認定の態様をもつて設置されていたのであるから、土屋車が左折を完了した後でないと車両番号は同巡査の視野に入らないものと推認され(この推認を左右すべき証拠はない。)、また、前記認定のとおり、土屋車は時速三〇キロメートル程度で左折した後、直ちに急加速して逃走していつたもので、同巡査にとつて車両番号を確認するに足りる十分な時間的余裕はなかつたものというべきであるから、訴外菱田の後記黒色カバンによるナンバープレートを隠すことがあつたにせよ、なかつたにせよ、同巡査が右の極く僅かな間に土屋車の車両番号を把握できなかつたとしても何ら異とするに足りず、右の場合以外に、同巡査において土屋車の車両番号を確認できたものとすべき事実関係を肯認するに足りる証拠はない。してみれば同巡査が土屋車の車両番号を確認できたか否かは、結局のところ明らかでないものとせざるを得ない。もつとも、<証拠>中には、地点を土屋車が左折する際、訴外菱田が黒色カバンでナンバープレートを隠した旨の供述部分があるが、土屋車の前記逃走経路及びその状況からみて右地点での僅かな間において、至近の位置に白バイを見た訴外菱田が咄嗟に右の所為に出ることはありうるところであるけれども、この時点を除けば、土屋車の逃走中訴外菱田が黒色カバンを持つた手を土屋車の後方にのばし、右のカバンで土屋車のナンバープレートを隠すまでの行為に出る程のゆとりがあつたとは考えがたい。したがつて同巡査に土屋車の車両番号を確認するに足りる十分な機会が存したにもかかわらず、訴外菱田において同巡査の車両番号視認を妨害したため、同巡査が土屋車の車両番号を確認し得なかつたものとすることもできず、証人村川正博の右証言を裏付けるべき他の証拠が何ら存しない本件においては、訴外菱田の右所為があつたか否かについても必ずしも明らかではないのであつて、他に右の点を首肯するに足りる証拠もない。

また、原告らは、地点から地点までの間、村川巡査らの白バイは土屋車と時速一二〇キロメートル以上の速度で土屋車をはさみ込むようにして、極めて接近した状態のもとに抜きつ抜かれつ走行した旨主張し、前掲甲第五号証の記載及び証人岡田多加代の証言中には右主張に沿う各部分があるが、同証言では、右のような走行をした具体的区間、距離等の詳細は何ら明らかでなく、かえつて前記のとおりの土屋車及び追跡車の走行速度、態様並びに<証拠>のほか、前記認定のとおり、警察官らは、白バイで違反車両を追跡する場合には、その危険性に鑑みて違反車両の前方に出ないよう指導をうけていること及び、別に認定したとおりの、地点から地点にかけての土手下通りの道幅等その道路状況に照らし、甲第五号証の記載及び証人岡田多加代の証言中の右各部分はいずれも採用できない。他に右主張の点を肯認するに足りる証拠はない。

また、原告らは、前記追跡により、地点以後の亡昌弘の逃走中、亡昌弘は気が動転していた旨主張し、<証拠>中には、原告らの主張に沿う各部分があるが、右は岡田多加代の単なる結果論的憶測にすぎないものであり、亡昌弘の具体的運転行為は、前記認定のとおり、地点の交差点を時速約三〇キロメートルで適確なハンドル操作のもとに左折し、また二台の駐車車両の間をすりぬけて走行するなど巧妙であり、結局村川巡査らの追跡を振り切つていること及び当時土屋車に同乗していた訴外菱田すなわち右岡田多加代としては、亡昌弘が動転していると思えたのであれば、同人に声で合図するなどして、直ちに走行を止めさせるなどの所為に出る機会が皆無であつたとは考えられないのに、右岡田多加代において右の所為に出たことを窺うべき証拠は何もないことを併わせ考えると、<証拠>中の各部分はいずれも採用できず、他の亡昌弘が村川巡査らの追跡を受けて気が動転していたことを認めるに足りる証拠はない。

原告らは、小胎警部補らが地点を過ぎてもなお時速一〇〇キロメートル以上の速度で追跡を継続したと主張し、証人小口勝正の証言中には、地点先付近を白バイが時速約七〇から八〇キロメートルで走行したとの供述部分がある。しかしながら右供述は、右部分を除く他の同証人の供述をも併わせ考えると、同証人が白バイの姿を一瞬認めたときの感じを説明しているものにずぎず、原告らの右主張を認めるに十分とはなしがたい。他に右主張の点を認めるべき証拠はない。

一方被告は、小胎警部補、村川巡査共に地点で追跡を中止し、サイレンを鳴らすのをやめた旨主張し、<証拠>中には、右の主張に沿う部分があるが、<証拠>を総合すると、本件事故直前まで白バイのサイレンが鳴つていたことが認められるところからすれば、小胎警部補らの主観はともかく、客観的にはなお追跡がそれまでほど激しくはないにもせよ、追尾の態様をもつて続いていたとも見られなくはない。したがつて<証拠>中の被告の右主張に沿う部分はいずれもこれをたやすく採用できず、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

(3) なお、地点から、、の各地点を経て地点に至るまでの距離は、約七九七メートル、地点から地点までのそれは、約一三〇九メートル、地点から地点までのそれは約六二四メートル、地点から地点までのそれは約三六メートルである。

なお、<証拠>中、右(1)、(2)、(3)の各認定に沿わない部分は採用せず、他に右の各認定を左右するに足りる証拠はない。

2  原告らの主張する小胎警部補及び村川巡査の追跡行為の違法性ないしは過失について

警察官は、現行犯人を現認した場合には、速かにその検挙、場合によつてはその逮捕に当たるべき職責を有するものであつて(警察法二条、六五条、刑訴法二一二条、二一三条参照)、右職責遂行のため犯人を追跡しうるのは当然であり、また、道路交通法違反の行為があつて交通事故発生のおそれがあり、道路交通の安全と秩序が乱されている場合にあつては、行政上の目的から、警察権の行使として、速かに違反状態を排除して右の安全と秩序の回復をはかるべく(警察法二条、警察官職務執行法二条、四条参照)、違反車両を停止させあるいは停止させるためにこれを追跡しうることもまた当然のことといわなければならない。そして右職責を有する警察官が道路交通法違反車両の追跡行為に出て、右車両による交通事故が発生した場合の右警察官の追跡行為における違法性ないしは過失の存否に関しては、当該道路交通法違反の内容、その重大性の有無、当該道路状況、交通上の危険性、追跡の目的、追跡の方法、追跡以外の捜査手段をとりうる可能性等の諸般の事情を具体的に検討してみる必要がある。

そこで、前記事実関係に基づき、これを本件について検討する。

(一) 一時停止義務違反行為について

原告らは、亡昌弘の違反行為は、一時停止義務違反という軽微な違反なのであるから、道路交通を危険に陥し入れてまで土屋車を追跡する必要はなかつた旨主張する。

しかし、前記認定のとおり、亡昌弘は、一時停止標識の設置されている地点を一時停止しなかつたのみならず、時速五〇ないし六〇キロメートルの速度をもつてその場を通過したのであつて、一時停止義務違反は法定刑が三月以下の懲役又は三万円以下の罰金(道路交通法四三条、一一九条一項二号)に当たる犯罪であることを考えると、右の亡昌弘の違反行為は、とうてい軽微な違反行為にすぎないものということはできず、前記警察官の職務内容に鑑みれば、小胎警部補らにおいて亡昌弘の追跡に及んだことが、正当な職務行為であることは、明らかなところといわなければならない。

(二) 車両番号の確認について

原告らは、小胎警部補らは、土屋車の車両番号を確認しているのであるから、道路交通を危険に陥し入れてまで亡昌弘を追跡する必要はなかつた旨主張するが、前記認定のとおり、同警部補らにおいて車両番号を確認したかどうかは必ずしも明らかではないのであるから、右主張は、その前提においてすでに理由がない。

(三) 他の捜査手段の可能性について

原告らは、小胎警部補らにおいて、土屋車の車両番号を確認していなかつたとしても、所轄警察署に無線連絡をして応援を依頼するなど、他の方法による捜査追及が可能であつた旨主張する。

しかし、<証拠>によれば、村川巡査の乗車した白バイには事故当時無線装置が設置されていなかつたことが認められ(右認定に反する証拠はない。)、小胎警部補の乗車した白バイにこれが設置されていたか否かは不明であるが、同警部補らが、土屋車の車両番号の確認をなし得なかつたとすれば、亡昌弘の違反及びその後の逃走の態様が前記認定のとおりであることをも併わせ考えると、たとえ応援が依頼できたとしても亡昌弘の検挙ないしは逮捕及び証拠の保全に大きな難渋を生ずることが十二分に予測できるのであるから、亡昌弘の前記違反行為について他の捜査方法が全く不可能ではないとしても、それゆえに追跡の必要性もないとは、到底いえないのである。原告らの右主張は採用できない。

(四) 地点以後の追跡行為について

原告らは、地点以後の追跡について、亡昌弘は気が動転した状態で逃走していたこと、同地点以後の高速走行が危険な道路状況にあつたことに鑑みれば、小胎警部補らにおいて、そのまま追跡を続ければ、土屋車が交通事故もしくは自損事故を惹起することが予見できたのであるから、直ちに追跡を中止するか少なくとも追跡速度を減速すべきである旨主張する。しかし前記認定のとおり亡昌弘が気を動転させていたことを認めるに足りる証拠はないし、また、地点以後において小胎警部補らは、すでに土屋車に七〇メートル以上引き離されているのであるから、同警部補らにおいて、亡昌弘が動転していたかどうかを知る由もないわけである。もつとも前記認定の道路状況によれば、地点以後の土手下通りを高速で走行することは一般的、客観的には非常に危険であつたというべきである。しかしこのような危険な状況下の道路上であつたにかかわらず、前記認定のように、日ごろ通り馴れていたものとも思える土手下通り付近を高速をもつて巧妙に走り続けたのは、ほかならぬ亡昌弘自身であつたばかりか、これに同乗する訴外菱田において、亡昌弘の、いわば客観的には無謀に近いような走行を制止した形跡を窺知するに足りる証拠は何もなく、他方前記認定のとおり、亡昌弘は、地点における一時停止義務違反の行為の後、後記のように何度も停止を求める小胎警部補らの呼びかけに応じて直ちに停止をしても何ら妨げはなかつたものと考えられるのに、これを無視してひたすら高速で逃走し続け、その逃走中にも同地点以後時速五〇キロメートル以上の速度違反行為をはじめ、地点及び地点における一時停止義務違反行為、地点以後の通行区分違反行為、地点以後の車両進入禁止違反行為等矢継ぎ早に違反行為を重ねているのであつて、全体として極めて重大な交通違反行為を犯したものというほかはないこと、また、小胎警部補らの追跡方法についても、前記認定のとおり、当初同警部補は、サイレンを鳴らしながら、亡昌弘に対しマイクで何度も停止を呼びかけていること、村川巡査も地点で亡昌弘に対しまず停止するよう合図し、その後追跡行為に入り、追跡中も常に最低でも約三〇メートルは土屋車との距離を保つて追跡し、その速度も時速約八〇キロメートル程度であり、道路交通上の危険も顧みることなく同車に追いつくため一段と加速するなどの所為には出ていないこと、地点から地点の間は対向車もなく対向車との衝突事故を惹起するおそれはなかつたこと、地点以後は、亡昌弘を検挙する目的での追跡は断念し、相当減速したうえでの追尾の態様による追跡に移行していること等の亡昌弘の道路交通法違反の重大性、亡昌弘の逃走と小胎警部補らの追跡状況、他車両の交通状況、前記のとおり追跡以外の捜査方法により亡昌弘を検挙もしくは逮捕し及び証拠の保全をするについての難渋の度が高いと思えること、更には追跡の時間及び距離等の事情をも考慮すると、地点以後の追跡も一概に相当性を欠くものとはいえないから、亡昌弘(及び訴外菱田)との関係においては、直ちに、小胎警部補らが追跡の中止もしくは追跡速度の減速をすべきものとはいえず、原告らの右の主張も採用できない。

以上によれば、小胎警部補らの追跡行為に違法性ないしは過失が存したものとはいえず、他に本件事故につき小胎警部補らの行為に違法性ないし過失があつたことを肯認するに足りる事実関係を認めるべき証拠はない。

四以上によれば、原告らの本訴各請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、いずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(仙田富士夫 松本久 古久保正人)

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